前院長雑感(南の風)

畏友栗山君の死から(4)(2019/04/16)

 また2014年11月に第2回日本難病医療ネットワーク学会学術集会を私が鹿児島市で主催した時には、学会が終わった後、次のようなちょっと長いメールをよこしてくれていた。
学会の成功おめでとうございます。私は1日目の総会の時間から参加しました。井形先生の特別講演、先生の会長講演、高嶋先生の話まで聞きました。挨拶して帰ろうとも思いましたが、たぶん多忙であろうと気を回して挨拶もせず、失礼して帰りました。
1日目12時前に鹿児島に着きました。時間がありましたので駅から会場まで歩きました。天文館のくろいわラーメン食べた後、いずろ通り、山形屋の前を歩き、全く新しくなった桜島への桟橋をのぞき、学会場が旧県庁跡にあるのを確認して、まだ時間がありましたので医学部跡を歩きました。変わらない城壁はとても懐かしく、この上にあった講堂や門のすぐ横の生協の食堂の風景をはっきりと思い出すことができました。薩摩義士の碑の横から裏道に入り、医学部図書館や解剖棟があったことやグランドあとを思い出しながら歩きました。なぜか井君や野口、去川、今和泉君(注:亡くなった同級生)等の顔が次々に思い出されました。
敬天閣の裏を通り新しくできた近代文学館横の階段を下りて、医学部裏門のところに出ました。私は自転車通学でしたので毎日裏門を通っていました。なんとなく面影が残っておりましたね。懐かしい西郷さんの銅像を見て、名山小学校を回って会場に入りました。とても懐かしかったですね。
夜は吾愛人(わかな)で、きびなごの刺身ととんこつ等食べました。おまけにほうらく饅頭が懐かしくデザートとして、買い食いしてしまいました。天文館の街も随分と変わってしまい、本屋さんも無くなってしまい、十字屋もなかったですね。ほとんど見知らぬ店ばかりでしたが、タカシマプラザの裏の焼鳥屋はたぶん永松先生から連れて行ってもらった雑巾のようなおおきな焼き鳥を出してくれる店かなと思いましたが、もう腹いっぱいで店には入らずに、街の中をうろうろと徘徊しました。ホテル予約が遅くなって前日になりましたので、ホテルが取れず中原別荘に泊まりましたが、修学旅行生でいっぱいでした。
2日目は学会には参加せず朝早くから、駅までの道をまたうろうろと見て歩き厚地脳外科の前のレンガ屋はもうない事を確認し、ザビエル教会が新しくなっているのに驚いたりしながら歩き、旧西鹿児島駅から福山に帰ってきました。
鹿児島の街は変わりましたね。鹿児島大学に入学したのが、50年前ですよ。本当に遠い昔になりました。というわけで、懐かし、懐かしのセンチメンタルな。鹿児島の学会参加の2日間でした。栗山(終)
「たぶん多忙であろうと気を回して挨拶もせず、失礼して帰りました」というのも、栗山君の一面かも知れない。
彼と一緒に時間を共有できたことを話すことで、彼の思いやりや素晴らしさを少しでも知ってもらえれば望外の喜びである。私も読み返しながら、彼と過ごした楽しい時間、特に医学部が城山にあったころの学生時代を静かに追想している。今頃(4月9日11時)は告別式の時間である。


南風病院画像診断センター政記念消化器病研究所病院広報誌「南風便り」